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【人材開発・人材育成】戦国武将の人材開発と組織作り。今も昔も同じだね!人は城、人は石垣、人は堀

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武田信玄は、人を信頼して大切にすることで忠誠心が高い屈強な軍団を作りました。織田信長は人を機能として捉えて組織を効率的に動かしました。豊臣秀吉は、人は感情で動くことを理解して、人材を登用して組織の統率を取りました。現代の企業経営ではどのパターンが良いのでしょうか?

【武田信玄】

信玄の人材に対する考え方

武田信玄の名言として「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」がありますね。

ここで言う人とは、家臣だけに限らず領民の全てだという意味ですが、自分の領土に住む人民が城(城壁)となって国を守るのだから、そんな人を大切にしなければならないと言っているのです。

言動一致というのは古今東西重要で、そんなことを言っておきながら高い天守閣に住んでいたら「殿も言うこととやってること違うじゃん」ってなったでしょう。

「じゃん」とは言わなかったと思いますが・・・笑

信玄は、本拠地の甲斐に城らしい城を築くことなく、躑躅ヶ崎館という館(平城?)に、住んで政務や軍務をこなしていました。

このような行動が、「やっぱり、殿は我々を信頼してくれているんだ」と言う共感につながり、信玄が生きているうちには隣国の敵は、甲斐の国に入ることはなかったと言います。

みんなで決めよう!

大河ドラマでもあるように戦国武将は戦の前に軍議を行って、作戦の検討、作戦の確認などを行ってきました。武田信玄も、同じように軍議を行っていましたが、一般的な戦国武将より多くの会議を行っていたようです。

一般的な軍議は、「トップダウンからボトムアップ、トップによる意思決定」というパターンが多かったと言います。

つまり、大将が全体的な戦略、戦術、方向性を言って、家臣がそれに対して意見して、最終的に大将が意思決定するというパターンです。


織田信長のように怖い殿様だと、

「わしはこう考える。皆のものはどう考える?」

「殿の言う通りでございます」

ってなるよね。

普通・・・。


ところが、武田信玄は、「ボトムアップ、トップの意見、全員による合議」と言うパターンだったらしいのです。

「皆のものは、どう考える?」

「わしはAだと思います」

「わしはBだと思います」

「わしはCだと思います」

「なるほどねー、みんな良いこと言うね〜、ほんと一生懸命考えてくれて嬉しいよ〜」

「じゃあさ、まとめるとこんな感じだと思うので、これで行こうよ!」

「よっしゃー!」

みたいな感じ? 笑


こんなんだから、武田家の家臣はまあまあ進言や諫言があったようですし、家臣のモチベーションも高かったと言われています。

織田信長に諫言なんてしたら、ご機嫌悪かったら殺されそう・・・笑

 

武田信玄の人材開発

あと、人材開発もちゃんとやっていたようです。

甲斐の守護職であった武田信虎の嫡男だったのでそれなりに高い水準の教育を受けていたようですし、家臣たちの人材開発も盛んに行っていたようです。

最終的には、実力本位で人材登用していましたが、機会平等というか若い武将たちの育成もちゃんとしていました。家臣の子息で有望な若い武士を集めて、信玄自らが戦術や武将としての意識の持ち方を教えていたのです。

一般的な武将は、自分の家族や親族を登用するのが普通で、ちょっと物足りなくてもまあ息子だしということで登用してしまうのが普通でした。

ところが、信玄は、実力本位で人を集め、その家臣にあった配置をしたのです。

家臣たちは自分の役割や能力が認められて評価されたので、それぞれの持ち場で能力を発揮しました。

今も昔も、部下の役割や能力を認めて評価すれば、部下は能力を発揮するんですね!

また、実際に、信玄は以下のような言葉を残しています。

  • 自分の好みの部下だけを使ってはいけない
  • 好き嫌いで人を選ぶとと、好みに合わない優秀な人間を遠ざけてしまうことになる。
  • 人の能力を見て使うべき・年功や出身は重視せずに正当な評価の実力主義で採用すべき

こんな感じの人材マネジメントをしていたので、戦国最強といわれた武田軍団ができたのでしょう。

意外とビジョナリーだった武田信玄

最後に、意外とビジョナリーだった武田信玄は、こんな言葉を残しているようです。

遠州・三河・美濃・尾張へ発向して、存命の間に天下をとって都に旗をたて、仏法・王法・神道・諸侍の作法を定め、政を正しくすることが望みである

武田信玄が病没せずに天下を取ったら日本はどうなったんだろ〜(妄想)


【織田信長】

信長の人材に対する考え方

信長は、人材登用では意外と保守的だったようで、基本的には自分と同じ尾張出身の家臣を重要な地位に登用しています。明智光秀や細川藤孝は珍しい例で、柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、前田利家、羽柴秀吉などは全て尾張出身です。

信長が面白いのは、一度裏切った柴田勝家、足軽の息子だった羽柴秀吉、家督を継げなかった丹羽長秀、素性が定かでない滝川一益、名門出身だったけど流浪していた明智光秀、馬廻りで頭角を現した佐々成政という面々を重臣としました。

また、家臣のことを組織を動かす機能(自分の目標を達成するためのツール)として捉えていたので、外様であっても荒木村重、九鬼嘉隆、松永久秀、浅井長政なども必要なタイミングで家臣にして自分の目標達成のために活用しました。

武田信玄も実力主義・能力主義で有能であれば登用しましたが、信長も同じように尾張出身の中で実力主義・能力主義で有能であれば登用しました。後半は尾張出身じゃなくても登用してました。

信長も、家臣の能力を見抜いて、適材適所に配置することが上手かったと言えます。

信長の幼少期には、周囲から大うつけと呼ばれるほどの変わり者で、町の若者と遠出をしていた時に、戦の戦術的な要素や、地形について学んだと言われていますが、人を育てたかというと疑問です。

信長は人材育成するというより、優秀な人材を素早く発見してすぐに登用することが得意だったんでしょう。

逆に、登用しても使えない家臣はサックリ追放しちゃいます。

柴田勝家と並ぶ織田家中ナンバー1、2の地位にいた佐久間信盛は本願寺攻めの成果が無いと言われて親子共々に高野山に追放してしまいます。

現代経営で言えば、バリバリの成果主義で、能力があれば機会が与えられるけど、達成できないとクビにするという感じです。

あと、昔の報酬というのは領土が基本ですが、与える領土がなくなると、茶器とかに価値をつけて、茶器を報酬にするということをしていました。

つまり、信長が採用したのは、外発的動機づけであり、評価、報酬、懲罰が要因となって家臣の動機付けをしていました。

一方、武田信玄が採用したのは、内発的動機付けで、達成感や満足感、充実感、自己肯定感を得たいという、家臣の内面的な要因によって動機付けていました。

信長のモチベーション開発

信長の外発的動機づけ(金銭的報酬)はやはり昇進昇給です。

19才で秀吉が初めて信長に奉公した時は、今でいうと年収100万円ぐらいでしたが、23才の時の岩倉攻めで成果を出して士分に出世して年収400万円ぐらいになりました。

29才の時に犬山城を落とした時は、信長の部下になって10年の節目でしたが、その成果が認められて年収4800万円になりました。

10年で身分の低い秀吉が120万円から4800万円まで出世したのは、秀吉も嬉しかったかもしれませんが、他の部下も嬉しいはずです。能力があり成果を出せば、秀吉と同じようになれるかもしれないわけです。

このような処遇は、尾張内で評判になっていますが、当時も楽市楽座とかがあり、それなりに他の地域と交流があるので、このような信長の処遇は評判にはなっていたのでしょう。

そんな評判を聞きつけたのかどうかわかりませんが、明智光秀は株式会社朝倉義景から40才も半ばで株式会社織田信長に転職してきたようなものです。しかも、今流行りのマルチワークからのスタートです。(足利義昭と織田信長の両方の家臣だった)

光秀は、足利義昭に「征夷大将軍になりたいから信長に上洛して欲しいって伝えてもらってさ、信長と自分の間を取り持ってよ〜」って頼まれて、光秀は、それを成し遂げたので、足利義昭は室町幕府最後の将軍となり、信長は足利義昭に大きな恩を売ることができたわけです。

ちなみに、後に、この自分勝手はアホな足利義昭は信長と対立し、武田信玄や朝倉義景に頼んで信長包囲網を築き上げようとするものの、失敗してしまい室町幕府が滅亡します。

信長は転職組の光秀を信長の家臣の中で初めて城持ちにしたので、秀吉や勝家、長秀は悔しかったでしょうね。

それが敢えての処遇で、ほかの家臣のモチベーションに火をつけたということも考えられます。

また、信長は外発的動機づけだけではなく、感状という家臣のお手柄やお褒めの言葉を書き記した書状を送ったというので、家臣達は、社長から感謝状をもらったようなものなので、めっちゃ嬉しかったんだと思います。

信長の組織運営

信長の組織運営で特徴的なのは、現代で例えると事業部制です。

信長は5つの事業部(兵隊が万単位の方面軍)を作って、今でいう事業部長を方面軍の大将に据えて功を競い合わせました。今でいうと売上を競い合わせたようなものです。

この方面軍の話はいかに信長が戦略家だったことがわかると思います。戦略とはある意味ではリソースの配分の技術なので、信長は近畿、北陸、関東、中国、四国の敵に合わせて方面軍を組成して向き合わせたわけです。戦術や作戦は、各方面軍の大将が決めればいいわけで、信長は細かいマネジメントはしなかったということです。

  • 近畿方面軍:明智光秀
  • 北陸方面軍:柴田勝家
  • 関東方面軍:滝川一益
  • 中国方面軍:羽柴秀吉
  • 四国方面軍:織田信孝

【豊臣秀吉】

秀吉の人材に対する考え方

秀吉も、人材登用においては、基本的には自分と同じ尾張出身の家臣を重要な地位に登用しています。

加藤清正は尾張生まれで、秀吉の遠い親戚で、小さい頃から秀吉に従っていましたし、福島正則も、清正と同じで尾張生まれで、秀吉の遠い親戚で、小さい頃から秀吉に従っていました。

現在においても、同族企業が子息や親戚に地位を譲りますし、飲み会でも同郷の人がいると親近感を感じるのと同じことなんだと思います。

一応、秀吉も「有能な人材」を見い出し、「適材適所」で個人の能力を発揮させました。

自分自身がしがない足軽の子供として生まれ、自分の才覚でのし上がったこともあり、部下についても能力があれば出自に拘らず登用するのは当たり前だと考えたのでしょう。

逆に、能力がないと血筋や家柄がよくても全く登用しないということもありました。

秀吉のモチベーション開発

秀吉は外発的動機づけと内発的動機づけをうまく使い分けた武将です。

外発的動機づけの典型例は、信長の清洲城の塀の修復の際にこんな施策をとりました。

  • 塀の修復において怠慢は許さない!
  • とはいえ、これまで疲れてるかた今晩は盛大に宴会をしよう
  • グループ分けしたので、グループ毎に競ってもらう
  • 早くできたグループには給与以外に報奨金を与える
  • 実際に大量の報奨金を見せた
  • 宴会では実際に秀吉が酒を注いで回った

この方法で、これまで全然進まなかった塀の主婦くが1日で終わったそうです。

内発的動機づけの典型例は、手紙をたくさん書いて渡したことです。

秀吉は足軽の子だったのでちゃんとした学問も習得していないし、下手したらめっちゃ字も下手くそだったかもしれませんが、ちゃんと成果を正当に査定して、直筆で家臣や家臣の奥さんとかにも手柄やその才能について手紙を書きます。

手柄を認めてもらったり、誉めてもらったり、感謝されたりしたら、家臣達もめっちゃモチベーション上がりますよね。

外発的動機づけにしろ、内発的動機づけにしろ、豊富秀吉は、自分が感情的だったこともあり、人の感情について察知する能力が高かったことが容易に想像できまます。

秀吉の組織づくり

歴史の本を読むと秀吉の偉業が目立ちますが、今でいうところの事業部長なので、実際には事業部長の戦略や戦術や作戦を具体化して実行する人が必要ですが、秀吉の場合は豊臣秀長です。

秀長はあまり歴史の前面には出てきませんが、豊臣秀吉の弟として豊臣政権において内外の政務および軍事面で活躍して秀吉の天下統一に貢献しました。

しかも秀長は秀吉に異を唱え制御できる人物だったとも言われていますので、秀長の意見などを率直に聞いて組織作りをしていたと思われます。

それでも組織として戦う時に足らない駒があったりします。

そんな時は、秀吉はヘッドハンティングをします。

有名なのは、竹中半兵衛です。感情的に頼むから家臣になってくれって頼んで、やっとのこと部下になってもらい、作戦参謀として活躍してもらいました。

もう一人、有名なのは黒田官兵衛です。

黒田官兵衛は、播磨の小寺政職に「毛利なんかより今は信長っしょ」と言って、信長に会いに行って、信長に会いに行く時に、秀吉と会います。

秀吉が竹中半兵衛と出会ったのも同じようなタイミングなので、竹中半兵衛と黒田官兵衛は互いに交流していたと思われます。

黒田官兵衛は一応信長に仕えますが、与力として秀吉に仕えて、秀吉は作戦参謀として黒田官兵衛を頼りにします。

秀吉が天下統一を果たした後は、一応大きな戦はなくなり、安定政権をどのように維持するかが命題だったため、これまでの尾張出身の加藤清正や福島正則のような武闘派だけではなく、

石田三成や長束正家、増田長盛などの行政ができる(色々あって近江出身が多い)人材を登用しました。

組織づくりとは少し違うかもしれませんが、秀吉は、現在の人的リソースを効果的に使い、自分の目標のために必要な人的リソースを随時確保したということです。

今回のポイント

古も今も、強力な組織を作るには人材の適材適所が重要だということ
信長・秀吉のパターン:人は外発的動機づけ(金銭的報酬)で動く
信玄のパターン:人は内発動機づけ(意味の報酬)でも動く


ここまで読んでくれてサンクイット!!!

サンクイットは、ポストイットからインスパイアされた造語です。ポストイットは「それを貼る」という意味合いなので、サンクイットは「それに感謝する」という意味です。ポストイットのように、相手の心に感謝を貼ろうという意味もあります。

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